連載 No.28 2016年04月24日掲載

 

表現力は想像力の中にある


この作品を展示すると、「外国の風景?」と問われることがあるが、北海道東南部で撮影している。

牡蠣で有名な厚岸町から、浜中町に抜ける海岸線は、崖のぎりぎりまで放牧地が続く。

遊歩道を歩けば涙岬や、立岩といった絶景を目の当たりにすることもできる。

雄大な景観はもちろんだが、主要国道から離れているので、観光客が少ないことも魅力だろう。



崖の上には放牧の為の古い杭が残りり、この空間の大きさが伝わってくる。

国内の風景はスケール感に乏しかったり、電柱や堤防などの人工物が多く存在するが、そういう意味では北海道は被写体に恵まれてる。

大自然にかすかな人間の痕跡、そんなところに惹かれるのかもしれない。



誰もいないところに行こうと漠然と旅に出ても、日本ではそんなところはめったにない。

海岸線に出て周りを見渡しても、かなりの確率で何らかの人工物が目に入る。

多くは波消しブロックや防波堤などの護岸工事の新しいコンクリートだ。

自然災害の多いこの国では、ダメージを受けるたびに作り直さなければならない。



それらがなければ美しい風景が望めるのだろうが、人間の痕跡がまったくない世界というのも妙に居心地の悪いものだ。

細い獣道を歩いて、まったく人工物のない美しい風景に出会うと、

何か立ち入ってはならない神聖な場所に来てしまったようで、かえって撮るのが難しい。



いくつかのハードルを乗り越えて、自分の構図を見つけるスタイルがいつの間にか定着した。

海岸に散らばるゴミには悩まされるが、それも含めて、空間の移り変わりだ。

最良の条件を迎えるまでは、撮らないことも自分の仕事だと考えるようになった。



被写体に対する考え方はさまざまで、現代のデジタル画像、あるいは処理にとても手間のかかる銀塩の古典技法でも、

海岸のごみを消したり人工物を除去する写真家もいる。

それらを否定するつもりはまったく無い。

信念に基づいて作業するのであれば、

100年前、あるいは1000年前の人工物の無かった世界を見せてもらったと感心する事もある。



近年の写真加工ソフトは現実を超えた表現も可能だが、表現力は想像力の中にあると考えている。

見たとおりに写ってもつまらないからと手を加えても、見えてくるものはそれを操作した人の感性。

その人が見たものを越えることはない。

いずれにしても、自分の世界観をはっきりと表した作品は、

画像を超えて作者の人間性も伝わってくるものだと感じる。